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【2025年10月18日】こりゃ難読!<蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)>

目次

🦗七十二候「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」とは?

「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」──読み方は「きりぎりす とにあり」。
二十四節気「寒露(かんろ)」の第三候(だいさんこう)にあたります。
だいたい10月18日から10月22日ごろ
のこと。

意味は文字どおり「キリギリスが戸口で鳴く」というもの。
つまり、秋もいよいよ深まり、
それまで野原で鳴いていた虫たちが、
人の住まいの近くまでやって来て、夜ごと鳴くようになる──そんな季節です。

「寒露」の三つの候(鴻雁来・菊花開・蟋蟀在戸)のうち、
この「蟋蟀在戸」は、秋のフィナーレを告げる音の情景
澄んだ空気の中、虫の音がより一層際立って聞こえるころなのです。


🍂虫の声で季節を感じる文化

日本人ほど、虫の声を“音楽”として楽しむ民族は珍しいと言われます。
欧米では虫の声は「noise(雑音)」とされがちですが、
日本では古くから「秋の風情を感じる音」として愛でられてきました。

夜、縁側に座り、虫の声に耳を澄ませながら月を眺める──
そんな静けさの中にこそ、日本人は“豊かさ”を見いだしたのです。

平安時代の貴族たちは「虫聴(むしきき)」という雅な遊びを楽しみました。
庭に虫を放ち、どの虫の音がもっとも美しいかを競ったり、
虫の声に和歌を詠んだりしたのです。
『源氏物語』にも「虫の音を聞く宴」が登場します。
まさに“耳で感じる芸術”ですね。


🎶「キリギリス」と「コオロギ」の不思議な関係

ここで気になるのが、「蟋蟀(きりぎりす)」という漢字。
実は、この字が指す虫は時代によって違うのです。

🐛古代では「キリギリス」は「コオロギ」だった

古い文献(たとえば『万葉集』や『古今和歌集』)では、
「キリギリス」といえば今で言う「コオロギ」や「マツムシ」のこと。
一方で、現在の「キリギリス」は「昼間に鳴く緑色の虫」として区別されています。

たとえば、清少納言の『枕草子』にはこんな一節があります。

「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、
烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、
飛び急ぐさへあはれなり。
まいて雁などの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。
まいてきりぎりすの声すごく鳴くも、いとあはれなり。」

この「きりぎりす」は、今で言う“コオロギ”です。
つまり、「蟋蟀在戸」とは「コオロギが戸口で鳴く」という情景。
夜長の静けさの中で、家の近くから聞こえてくるコオロギの声──
それが秋の終わりを知らせているのです。


🌾自然の中の音の舞台

秋の虫たちは、夏の終わりから秋にかけて、
草むらや田んぼで鳴き声を響かせてきました。
しかし寒露のころになると、夜の冷え込みが増し、
虫たちは暖かい場所──つまり人の家のそば──へと移動してきます。

縁の下や石垣の隙間、戸口近くの落ち葉の陰。
そこから聞こえるコオロギの声は、
まるで「寒くなってきたね」と語りかけているようです。

それが「蟋蟀在戸」の情景。
野原に響く大合唱から、
小さく、静かに、
**“家の近くで鳴く虫の音”**へ──
音の世界も、季節とともに“内へ”と移っていくのです。


🌙夜の静けさと虫の音

「蟋蟀在戸」のころの夜は、
まるで空気が音を通しやすくなったかのように、
虫の声が澄んで聞こえます。
これは実際、気温と湿度の変化によるものです。

冷たく乾いた空気は、音の反射を抑え、
小さな音でもクリアに耳に届きます。
つまり、この季節は“虫の声が最も美しく響く時期”なのです。

古人たちはそれを知っていて、
秋の夜にあえて静けさを作り、虫の声を楽しみました。
灯を落とし、団子を供え、
月明かりと虫の音に身を委ねる──
そんな風雅なひとときが、かつての秋の贅沢でした。


🏮「蟋蟀在戸」と月の関係

この時期、夜空には十三夜の月や**十六夜(いざよい)**が昇ります。
満月の名残をとどめた柔らかな光が、
虫の声とともに秋の夜を包み込みます。

特に日本では、
“月と虫の音”は切っても切れない組み合わせ。
芭蕉の弟子・宝井其角(たからいきかく)は、
こんな句を残しています。

「我と来て 遊べや親の ないすずむし」

孤独を癒やすように虫の声と語り合う、
そんな優しい情景が浮かびます。
月と虫の音があれば、言葉はいらない──
それが「蟋蟀在戸」の夜です。


🍵秋の終わりを感じる暮らし

① 温もりを楽しむ

朝晩の冷え込みが強まるこの時期、
温かいお茶や湯豆腐が恋しくなります。
虫の声を聞きながら、ほうじ茶の香りを楽しむのも風情がありますね。
「音」と「香り」は、季節を最も深く感じさせる感覚です。

② 秋の実りを味わう

柿・梨・栗・新米──まさに実りの秋の真っ盛り。
特にこの時期の新米は格別で、
「虫の声を聞きながら炊きたてのご飯を食べる」というのも
立派な“日本の秋の贅沢”です。

③ 心を鎮める時間を持つ

「蟋蟀在戸」のころは、自然が“静寂”へと向かう転換点。
人の心もまた、活動から内省へと切り替えるときです。
夜に少し灯りを落として、
虫の声をBGMに日記を書いたり、本を読んだり──
そんな静かな時間が、心を整えてくれます。


🎐「音の季節」を残す文化

日本には古くから、「音」で季節を記録する文化があります。
俳句や和歌だけでなく、
“虫の声”そのものを風物詩として守る人々もいました。

江戸時代には、「虫売り」という風流な商売がありました。
竹かごにスズムシやマツムシを入れて売り歩き、
人々はそれを買って家で飼い、夜の虫の音を楽しんだのです。
まさに“音を買う文化”──なんとも粋な話です。


🌕心の耳で聴く「静寂の音」

虫の声を聞くと、不思議と心が落ち着くことがあります。
心理学的にも、虫の音には**「1/fゆらぎ」**というリズムがあり、
人の心拍や呼吸と調和してリラックス効果を生むとされています。

つまり、「蟋蟀在戸」の夜に耳をすませることは、
自然のセラピーそのもの。
虫たちの声は、
「夏が終わったよ」「そろそろ休もう」という
自然からの優しいメッセージでもあるのです。


💫「蟋蟀在戸」が教えてくれるもの

この季節の虫の声には、
“生の終わり”を迎えつつも、
まだ懸命に歌い続ける命の響きがあります。

冷たい風が吹き始め、
草も枯れ、
夜が長くなっても、
虫たちは小さな体で声を出し続ける。

その姿は、
「どんなに小さな命でも、
最後まで自分の歌を歌う」
という生き方そのもの。

「蟋蟀在戸」は、ただの季節の描写ではありません。
命の美しさと、儚さの詩なのです。


🧘‍♀️この時期のおすすめの過ごし方

  • 夜風にあたらないように、暖かいブランケットを用意して縁側やベランダへ
  • スマホを置いて、数分間だけ“音に集中”してみる
  • 「今、自分のまわりにある自然の音」を感じてみる

それだけで、
心がスッと静まり、時間の流れがゆるやかになります。

現代では、街の雑踏にかき消されてしまう“自然の音”ですが、
耳を澄ませば、今もどこかでキリギリスやコオロギが鳴いています。
それは、人と自然がまだつながっている証です。


🍁まとめ:「蟋蟀在戸」は“音で感じる秋の終章”

「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」とは──
秋が深まり、虫たちが人のそばに寄り添う季節。
風は冷たく、夜は静かで、
虫の音だけが小さな命の証のように響く。

それは“寂しさ”ではなく、“静かな豊かさ”。
自然と共に呼吸し、耳を澄ませることで、
心が秋と調和していく──
そんな季節の贈りものなのです。

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